夢を運ぶもの
<序章>
その会社は、戦後間もない時期に設立され、ジュークボックスの輸入を生業としていた。
1957年に「サービス・ゲームズ・ジャパンと社名を変更し、
1960年には、国産のジュークボックスを初めて開発した。
その後、外資系のアミューズメント機器の会社との合併を経て、
業務の中心はジュークボックスからビデオゲームへと変化することとなる。
そして、1965年、サービス・ゲームズ・ジャパンは、社名を変更。
新しい社名は「Service Games」の
それぞれの単語の頭文字「Se」と「Ga」を採り、「SEGA」と名づけられた。
株式会社「セガ・エンタープライゼス」が、ここに誕生した。
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僕にとってのゲーム原体験は、小学校低学年のころだった。
まだ、学校で「インベーダー禁止!」というプリントが配られたり、
「ゲームセンターは不良の溜まり場」なんて言われていたころだ。
はじめて、スペースインベーダーをプレイしたとき、100円玉を入れるのに、
ちょっと緊張した。もちろん、勿体無くて、だ。
当時の僕は、こんな数分の何の跡形も残らない快楽に、
100円なんて大金を投じていのか迷う、そんな子供だった。
そして、ドッドッドッ、ピキ−ンピキ−ン、…ドカーン。
最初のテレビゲーム体験は、わずか数十秒だった。
そして、僕はしばらくテレビゲームに近づかなくなった。